皇居東御苑に行ってきた

23区

皇居東御苑に行ってきた。

午前中に皇居一般参観を終えて、そのまま皇居東御苑を散策してみる。基本月曜・金曜以外は公開されていて入園は無料。

皇居東御苑は旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、1968年から公開されている。

桔梗門から徒歩10分程度。最寄りの大手町駅からは徒歩3分程度。

一番の見どころは天守台だろう。坂道も多いので体力ある時に。

出入り口は大手門と、竹橋駅近くの平川門、九段下駅方面の北桔橋門の3つがある。

全ての門で手荷物検査がある。

大手門から入っていく。大手門とは城の正面に位置する門を意味する。大手町の由来にもなっている。

半蔵門駅や桜田門駅など門由来の駅名もあるし、丸の内は堀で囲まれた内側という意味がある。

シャチは焼失前の門の屋根に飾られていたものだとか。

同心番所。番所は警備の詰所を表し、ここは幕府の下級武士である同心が警備にあたった。

百人番所、同心番所、大番所の3つが残っている。

大手三の門の石垣。

百人番所。本丸と二の丸へ通じる要所である大手三の門の前に設けられた番所。

鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていた。各組には同心が100人ずつ配属されていた。

大番所。中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていた。

中雀門の石垣。

展望台からは北東方向が見える。

1/30スケールの江戸城天守復元模型。2020年に公開。一部は3Dプリンタも活用したとのこと。

富士見櫓。先程は下から見上げたが、今度は横から。

石室(いしむろ)。抜け穴や金蔵など諸説があるが、大奥御納戸の脇という場所柄から、非常の際、大奥用の調度などを納めたところと考えられている。

富士見多門。「多聞」とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれた。鉄砲や弓矢が納められ、戦時には格子窓を開けて狙い撃つことができた。

江戸時代の江戸城本丸には、このような多聞が各所に築かれていたが、現存するのはこの富士見多聞のみ。

先程行った蓮池方面が見える。

天守台。明暦の大火で天守が焼失し、以降再建されることはなかったため、富士見櫓が天守に代用されたと伝えられている。

天守台の上から。

眺めよし。

北桔橋門(きたはねばしもん)。本丸北端に位置し、有事に備えてはね上がる構造の橋があったことに由来する。

桃華楽堂。音楽好きの香淳皇后さま(昭和天皇の皇后)の還暦記念として1966年に完成した200名収容の音楽ホール。

「桃華」の由来は香淳皇后さまのご誕生日が3月で桃の節句にちなんだこと、「華」の字形は「十」が六個と「一」が一個で構成されていることから還暦(数え年六十一歳)を意味するということで命名された。

汐見坂。本丸と二の丸をつなぐ坂。坂上には汐見坂門が設けられていた。

江戸城築城の頃は、この近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができたことから汐見坂の名がついたと言われている。

白鳥壕。本丸と二の丸の高低差は約10mだとか。

二の丸庭園。3代将軍家光の命で庭園を造成。現在の庭園は9代将軍家重の時代の庭絵図面をもとに復元されたもの。

小滝。

ベンチもあるのでゆっくり庭園を眺められる。

諏訪の茶屋。1912年に皇居内の吹上地区に建てられた茶室で、1968年に現在の場所に移築した。

平川門。付近に平川村があったことに由来する。場内の死者や罪人などの出口とされていたことから不浄門とも言われた。


天守台や石垣など立派で見応えがあった。二の丸庭園でもゆっくり日本庭園を眺めて楽しめる。

皇居一般参観から続けてきたが、結構広く坂も多いので体力的に注意。9月だがまだまだ暑いので暑さ対策は必要。

それでは。

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