どうも、じゅじゅいちです。
玉川上水を散歩してみました。玉川上水は羽村堰から四谷大木戸までの43kmに及びます。当たり前のことですが水は高い方から低い方に流れます。玉川上水は43kmの間に高低差が92mしかないんです。つまり1kmあたり2m程度ですね。歩いているとわかりますが高低差というものをほとんど感じないんです。このあたりも意識して見ると面白いですね。
東京の地形は西高東低で、奥多摩から新宿の方にかけて低くなっていきます。この地形をうまく生かして徐々に低くなるように流れていくんですね。一旦低くなるとそれ以上の高さに行けないので近隣の一番高いところを通っていきます。江戸時代初期にこれを熟知していて、なおかつ開削する技術があったのは驚きです。しかも8ヶ月という短い期間で成し遂げたんですね。

それでは羽村堰からスタート。

堰で水位を上げることにより玉川上水に流れるようになるわけですね。多摩川のような自然の川は近隣の一番低いところを流れます。つまり別ルートに流すには水位を上げる必要があります。

玉川上水の開始です。

羽村導水ポンプ所。ここから一部の水が小作浄水場に送られるそうです。

羽村導水ポンプ所の下流。だいぶ水量が減った気がします。この時点で一部の水が第三水門から村山貯水池・山口貯水池に送られ、さらに羽村導水ポンプ所から小作浄水場に送られています。残った水は小平監視所まで流れたあと東村山浄水場に全て送られていくわけですね。

玉川上水旧堀跡です。福生市の史跡に指定されています。1740年に多摩川の洪水被害を避けるため掘り替え工事が行われたとのこと。ここが旧堀跡です。

田村酒造場を抜けて流れる田村分水(福生分水)です。玉川上水には33の分水が作られたとか。田村酒造は嘉泉ブランドの日本酒を醸造販売する老舗の酒造メーカーです。

玉川上水の向こうが田村酒造場 。

みずくらいど公園(水喰土公園)。玉川上水の開削は2度失敗したと言われていますが、ここを開削したときに水が地中に吸い込まれたということです。

玉川上水開削工事跡。福生市の史跡に指定されています。

水喰土公園から少し離れたところに玉川上水が流れています。八高線と立体交差しています。

拝島駅北口の横田1号踏切。横田基地専用線の踏切です。基地に燃料を輸送しているそうです。

つつじ橋です。下を流れているのが都水道局拝島源水給水口で昭島市にある昭和用水堰でせきとめた多摩川・秋川の水を玉川上水に流しているそうです。昭和16年に玉川上水の水では不足したため突貫で作られたとか。

玉川上水と西武拝島線の立体交差。

昭和の森ゴルフコースのあたりからしばらく暗渠化しています。

戦時中に滑走路延長のために暗渠化したそうです。

しばらく歩くと再び玉川上水が見えてきました。
続きます。
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