八国山緑地を歩く

多摩

どうも、じゅじゅいちです。東村山市の八国山緑地を歩いてみました。

八国山緑地は狭山丘陵の東端に位置しています。八国山とは八カ国(上野、下野、常陸、安房、相模、駿河、信濃、甲斐)の山々が眺望できたことに由来すると言われています。またアニメ映画「となりのトトロ」でサツキとメイの母親が入院していた「七国山病院」は八国山付近にある病院をモデルにしているらしいです。そちらも併せて歩いてみます。

東村山駅から歩いていきます。東口にある3本のけやきが「志村けんの木」です。「東村山音頭」を通じて市の名前を全国に広めてくれた功績に対し1976年に市の木である「けやき」を3本植樹しました。志村けんさんは新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎により3月29日に亡くなり、死後1週間ほどこちらに献花台も設けられていました。また多くの声を受けて6月25日には東村山市の名誉市民に選ばれたということです。

徳蔵寺です。臨済宗大徳寺派で本尊は白衣観世音菩薩。併設されている板碑保存館には国指定重要文化財の「元弘の板碑」が展示されています。この板碑はもともと八国山中腹の永春庵にあったものですが、江戸時代中期に永春庵とともに徳蔵寺に移されたということです。徳蔵寺は武蔵野三十三観音霊場の7番と狭山三十三観音霊場の11番で、永春庵は狭山三十三観音霊場の12番です。

東京都指定旧跡の久米川古戦場です。鎌倉幕府倒幕のために挙兵した新田義貞の軍勢が初戦の小手指原の戦いで鎌倉軍を破り、翌日南下し、この周辺一帯で第二戦が行われたとか。この戦いに勝利した新田義貞が塚を築き旗を立てたといわれる将軍塚が八国山にあります。

公園の東から入っていきます。八国山の尾根道が東京都と埼玉県の境になっています。北側は埼玉県所沢市です。

山道に入っていきます。

市街地が見渡せます。

だいたいこのように木陰になっているので直射日光は少なめです。

元弘青石塔婆所在跡の碑。新田義貞の鎌倉進撃に従って討死したという飽間斎藤一族の供養碑があった場所です。現在は先ほど訪れた徳蔵寺に保存されています。この辺りはもう埼玉県所沢市。

すぐ近くにある将軍塚。新田義貞が塚に旗を立てたことから将軍塚と呼ばれた。

おおぞら広場です。ベンチもあり休憩できます。

八国山緑地の近くにある東京白十字病院。

さらに隣にあるこちらが「となりのトトロ」に出てくる「七国山病院」のモデルとなった新山手病院です。

ほっこり広場です。ベンチがあり休憩できます。

由緒不明の神社。

西武園線沿いに射撃場跡地があります。石碑には「御大典記念 帝国在郷軍人会 北多摩郡総合分会 常設射撃場」と書かれていました。

ふたつ池(下池)があります。ここで親子が釣りをしていました。

ふたつ池(上池)です。ふたつ池は人工的に掘られた溜め池で、谷戸に集まる湧水を2つの池に溜めて水田用水として利用していたとか。明治13年に書かれた資料では鍛冶谷池(かじやついけ)と鍛冶谷小池という名前で、昭和39年に東大和市ができるまではこの名前が使われていたそうですが、いつの間にか「ふたつ池」と呼ばれるようになったとか。池の下には昭和40年代前半まで水田があり、ふたつ池が水源として使われていたんだとか。

「ころころ広場」と呼ばれる緩やかな斜面の原っぱ。

境石標示。尾根道はほとんど埼玉県側なんですね。

公園の西側。市街地が少し見渡せます。

西武園ゆうえんちを抜けて多摩湖まで。遊園地のレストランの通りを挟んで多摩湖側から見たところ。道路の向こうが埼玉県所沢市、手前の左側が東大和市、右側が東村山市。

大好きな多摩湖。

多摩湖から東側を見る。先程通ってきた八国山緑地が見えます。

さらに東大和公園に向かいます。途中に東大和市の旧跡に指定されている霊性庵があります。真言宗智山派で本尊は如意輪観世音菩薩です。狭山三十三観音霊場の17番。円乗院が管理しています。

狭山神社。もともと天狗明神だったのですが明治の神仏分離により狭山神社に改められました。その後狭山地域(東大和市狭山)の各地に祀られていた神社も合祀しています。そのうちの御霊明神は多摩湖に沈んだ内堀地域にあった神社を移転・合祀したとか。

円乗院。真言宗智山派で本尊は不動明王。

目が光っていてかっこいい仁王像。

武蔵野三十三観音の8番です。

円乗院の裏から東大和公園に入っていきます。

東大和公園は狭山丘陵の里山を公園としています。ほぼ里山で、いくらか歩きやすいようにしたという感じの公園です。その分ありのままの里山の自然を満喫できます。

団地口から市街地が見渡せます。

それではまた次の公園でお会いしましょう。

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