こんにちは、じゅじゅいちです。
国分寺市にある武蔵国分寺跡に行ってきました。国分寺は奈良時代に聖武天皇が国家鎮護のため各国に建立を命じたお寺です。国分寺市という名前は武蔵国分寺があったことに由来します。過去には国分寺という名前の自治体はいくつかありましたが、現在は自治体レベルで国分寺という名前があるのはここだけです。ちなみに国府があったことに由来する「府中市」は東京都と広島県にあります。さらに広島県には府中町もあるみたいです。広島県は安芸と備後の2つの国があったためですね。
国分寺市は明治の大合併で、国分寺村、恋ヶ窪村、その他江戸時代中期の新田開発によって誕生した村の計10村が合併して国分寺村となりました。村名を決める時にどこもそうですが、一つの村の名前にするのは反発があったようです。別の村名になるところでしたが結局は国分寺という名前で落ち着きました。
国分尼寺もあわせて見るため西国分寺駅から歩いてきます。

西国分寺駅から武蔵国分尼寺の方へ行く通りに「史跡通り」という名前がついています。

武蔵台遺跡敷石住居跡。縄文時代の遺跡です。

さらに進むと伝鎌倉街道が見えてきます。

塚跡。国分寺市が見渡せます。

伝祥応寺跡。中世の寺院でした。国分寺市本多四丁目にある祥応寺の前身であると言われています。現在はこの説明板のみがあります。

武蔵国分尼寺跡。国指定の史跡です。特に何かあるわけではないですが、各所に説明板があります。

咲き誇ってます。

それっぽいものが。

線路をくぐり抜けて少し歩くと文化財資料展示室があります。瓦や土器の展示、国分尼寺の映像などがあります。ここのナイスミドルに丁寧に説明してもらいました。国分寺を作る時に既存の寺の看板だけ取り替えて国分寺にしたところもあるとか。

少し歩くと武蔵国分寺跡があります。こちらも国指定の史跡で、各所に説明板があります。

分かりづらいですが、木の右横に七重塔跡があります。国分寺とともに七重塔も作るように命じられたとか。

国分寺跡編終了。次は現、国分寺編です。それでは。
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