どうも、じゅじゅいちです。
東大和市にある旧日立航空機株式会社変電所に行ってきました。

玉川上水駅の北口すぐのところにある米軍大和空軍基地の碑です。昭和のはじめころ工場がありましたが1945(昭和20)年に爆撃で工場が壊滅しました。跡地については米軍用地にするとの通知が届きましたが、大和村(現・東大和市)は近くに小中学校があることなどを理由に反対しました。しかし強制収用され1956(昭和31)年に米軍大和空軍基地が開設されました。1973(昭和48)年に立川基地とともに大和基地も返還されたということです。

米軍大和空軍基地が開設されたときに建てられた石碑。

少し行ったところに旧日立航空機株式会社変電所があります。「西の原爆ドーム、東の変電所」の言葉通り、戦争の傷跡を残した建物です。毎月第2日曜日の午後1時から午後4時まで変電所内部が一般公開されています。外部はいつでも見られます。この日は「第15回平和市民のつどい」があるのでキャンドルが置かれていました。
1938(昭和13)年に軍用機のエンジンを製造する「東京瓦斯電気工業株式会社立川工場」が建設されました。翌年、合併により「日立航空機株式会社立川工場」となります。この変電所は高圧線で送られてきた66000ボルトの電気を減圧し工場内へと送る施設でした。多摩地域は軍需工場が集中し、戦争中は空襲を受けました。この工場でも1945(昭和20)年2月17日、4月19日、4月24日と3回の攻撃を受け、工場の従業員などあわせて111人の方が亡くなったそうです。空襲により工場内の建物もほとんどが破壊されましたが、変電所は奇跡的に残りました。戦後も爆撃の傷跡を残しながら1993(平成5)年まで操業を続けたとのことです。1995(平成7)年、東大和市は後世に伝えるべく文化財に指定しました。

老朽化が進んだ変電所を現在の状態で保存するためには多額の費用がかかるため、東大和市では寄付金を募っています。目標金額は2億円だそうです。変電所内部で配布していたリーフレットに振込取扱票が付属されていたので、あとは郵便局に行くだけです。微力ながら寄付させていただきました。

給水塔。工場内のほぼ全ての水をまかなっていました。こちらも空襲から生き残り、戦後の操業停止になるまで給水塔として役目を果たしていたとか。老朽化に伴う維持管理や用地取得などの問題から2001(平成13)年に取り壊され、一部をここに保存することにしたそうです。

防護壁。こちらも一部をここに保存することにしたそうです。

慰霊碑。戦後50年を節目に建立されたとのこと。

弾痕跡。近くで見るとすさまじさが分かります。

「第15回平和市民のつどい」で変電所のライトアップと平和祈念キャンドル点灯が行われました。国立(くにたち)音楽大学の演奏や、東大和南高校の朗読劇がありました。
毎月第2日曜日に変電所内部が一般公開されているので足を運んでみてはいかがでしょうか。それでは。
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