砂川闘争の地を訪ねる

多摩

どうも、じゅじゅいちです。

立川市の砂川闘争ゆかりの地を訪ねました。

砂川闘争は米軍立川基地の拡張に砂川町の住民が反対した住民運動です。1955(昭和30)年から反対運動が始まり、1969(昭和44)年に米軍が撤退していきました。砂川町は現在の立川市で、1963(昭和38)年5月1日に編入されました。当時の立川市は狭く発展の余地が少なかったのですが、砂川町は2倍の面積があり今後の都市化に必要と判断され編入されたそうです。

舞台となった立川基地の前身となる立川飛行場は1922(大正11)年に開設されました。戦時中は空襲があり数多くの死者を出しましたが、立川飛行場の滑走路には一発も爆弾が投下された様子がなかったそうです。戦後すぐに米軍に接収されます。 1955(昭和30)年5月4日に砂川町長に基地の拡張が通告され、町ぐるみでこれに反対する砂川闘争が始まります。同年9月14日には強制測量がおこなわれ住民側と衝突して100名以上の負傷者を出し、反対運動に参加していた砂川町の議員も逮捕されたということです。1956(昭和31)年10月13日、機動隊と衝突し、手当したものだけで800名以上となりました(流血の砂川)。同日夜には政府から測量中止の発表がありました。1957(昭和32)年7月8日にデモ隊の一部が基地に立ち入り、23名が事後逮捕、7名が刑事特別法違反で起訴されました(砂川事件)。1959(昭和34)年3月30日、東京地裁で米軍駐留が憲法に違反しているので刑事特別法は無効であり全員無罪判決となる、いわゆる「伊達判決」が出されました。しかしこれは同年12月16日に最高裁で、高度な政治性をもつ条約については法的判断を下すことができないという統治行為論が採用され地裁に差し戻し、東京地裁で有罪となっています。その後は主に裁判闘争となりましたが1968(昭和43)年12月19日に米軍から拡張計画の中止が発表され、1969(昭和44)年12月に立川基地所属部隊の解散式が行われました。1977(昭和52)年に立川基地が日本に返還され、跡地は国営昭和記念公園や陸上自衛隊駐屯地になっています。

住民側が測量を阻止したのは土地収用法では精密な調査と測量が必要なためでした。これを阻止すれば土地収用法が適用できないと考えたためです。途中で金銭的な条件によって土地を手放す「条件派」と呼ばれる人たちが現れ、住民同士が普段の生活でも対立したとのことです。最後まで23戸が土地を手放さずにいたこと、そして「流血の砂川」などで世論の影響も大きかったことがこの反対運動を成功させたと見られています。砂川町は農村で保守的な土地柄でしたが、社会党、共産党、総評、全学連などの力を借りました。団体同士仲が悪いところもありましたが、イデオロギーのためにやっているわけではないので、支援してくれるところには協力を求めたということです。あくまで住民がメインとの方針でした。

  • 「砂川闘争の記録」 宮岡政雄
  • 「砂川闘争50年 それぞれの思い」 星紀市

国営昭和記念公園。1983(昭和58)年開園。この公園も砂川の人の反対がなければ米軍基地のままでした。

陸上自衛隊立川駐屯地です。ここも跡地ですね。

立川市役所。立川基地の跡地はこの市役所や駐屯地、昭和記念公園から昭島市にある昭島病院までの広大な土地です。

立川駐屯地の北側。格納庫や滑走路があり、ヘリなどが飛び交っています。基地拡張予定はこの滑走路の北側から五日市街道を越えたあたりまででした。

平和之礎。砂川闘争20年となる1975(昭和50)年に建立されたとか。

砂川平和ひろば。定期的に開館しているようです。

草で見えづらいですが「基地強化に反対し 畑耕作を続けよう」と書かれています。

運動広場。立川市が国から借りているところを広場にしているとか。五日市街道の北側も同じような広場がありました。

日本山妙法寺が建立した宝塔。ここの僧侶も反対運動に参加し、警察隊によって頭を殴られ血を流したとか。

基地拡張に反対し続けた「団結爺さん」こと馬場源八さんのお墓。1956(昭和31)年死去。

五日市街道。基地が拡張されていればこの五日市街道も分断されていたんですね。

阿豆佐味天神社。砂川の鎮守として1629年に殿ケ谷(現・瑞穂町)の式内社である阿豆佐味天神社を勧請しました。祭神は少彦名命と天児屋根命です。反対運動の集会場になっていたそうです。

拝殿。

境内社。蚕影神社、八雲神社、疱瘡社、稲荷社、天神社、御嶽神社、浅間神社、金刀比羅社、八坂大神社。ジャズピアニストの山下洋輔さんの飼い猫がいなくなりこの神社にお参りしたところ、無事に猫が戻ってきたことから「猫返し神社」と呼ばれるようになったということです。今はこちらの方が有名ですね。

猫。

立川水天宮。祭神は天之御中主大神、安徳天皇、建札門院、二位の局。安産・子授けの守り神だとか。

唐子手水鉢。石材は五日市の伊奈石だとか。(伊奈石の地を訪ねる

猫。

殉国慰霊碑。第一次から第二次世界大戦までの砂川における戦没者・戦災死者の慰霊碑。あまりの大きさに石を運ぶトレーラーやクレーンを横田基地から借りたとか。

立川市砂川学習館。この一角に砂川闘争の写真や資料があります。

それでは次の闘争・事件でお会いしましょう。

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